地震から4日が経ち。まだ原発の状況も不安定。
そして、安否確認もできていない人が多数。ということで、私自身のブログもどう書いていいのか?書いていいのか?という状況でありました。
ある人の言葉で、日本を助けるのは、被災地以外の経済活動だ。というのも聞きました。現在萎縮モードであらゆるものが中止になっています。確かに正しいことでもあるように思いますが、前を向いて頑張ることも大切だと思いますし、昨日の「東北地方太平洋沖地震復興祈念マラソン」でも本当に開催されて良かったと思いましたし、参加して良かったと思いました。こんな感情で走ったこともありませんでしたし、能登の皆さんの素晴らしい運営に心より感謝しています。数少ないレース歴ですが、石川県民として誇れるフルマラソンだと心より思います。
毎回私はマラソンを走った時にはブログに書かせて頂いております。今日、昨日のマラソンを振り返ってブログを書かせて頂き、明日からは通常に戻りたいと思っております。
昨日は朝5時20分ころに目覚ましを合わせたのですが、目が覚めたのが5時。枕元のアラームが鳴る前でした。やはり緊張していたのだと思います。
いつもならば、レース中はブログに書こうと思い、色々考えるというか記憶しているのですが、今回ほとんど記憶にないのです。
スタート地点で、被災にあわれた方に黙祷をささげ、スタートの号令を待ちます。私が立っている場所からスタート地点までかなりあります。フルマラソンだけでも2432名の参加。頂いた冊子を見ると3600名程の名前がありますので、走られなかった方、走ることができなかった人が1200名近くいることになります。
最初の5キロが24分50秒。次の10キロが23分17秒ですから、同じラップだと考えると1分33秒のロス。スタートまでが長かった。後から考えるとかなり大きな数値です。
25キロくらいまでは順調でした。17キロ地点くらいでは脚に神が降りてきたのかと思うくらい。宙を飛んでいるかのように脚が前に出ます。その時の1キロのラップが4分20秒。
実際はこんな感じ。
5km 00:24:50
10km 00:48:07 0:23:17
15km 01:12:00 0:23:53
20km 01:36:10 0:24:10
25km 02:00:28 0:24:18
30km 02:26:00 0:25:32
35km 02:52:15 0:26:15
40km 03:18:23 0:26:08
Finish 03:29:13 0:10:50
25キロまではまともで、30キロになってぐっと落ちて、後は貯金を使っているという感じ。何しろアップダウンが激しいコース。坂の表示があるのが10箇所。30キロを過ぎて待っている坂が強烈で。女性のランナーが前を歩いてました。その女性が「マラソンは走る競技ですよ!私の分まで走って」と笑いながら声を掛けてくれます。
ラン仲間が35キロ地点で自転車で待っていてくれて写真を撮ってくれました。一番辛いところです。意識もあまりないような感じ。
ただただ、時計を眺めラップが5分に近づくと次の距離表示がくるはずだ。と思いながら走るのですが、進むことに距離表示が現れるのが遅く感じます。
写真の右胸に黄色のリボンが付いていると思います。苦しい時はこれを握って我慢しました。ラスト数キロになると、ゼッケンが二桁のランナーもいて速く走れるはずのランナーも調子が悪いと前に行けないのだ。と思いながら、とにかく必死で手を振ります。
ゴールまで1キロを切った所で沿道の応援も多くなってきます。あと200メートルという声も聞きました。しかしぼーっとしててあまり景色を覚えていないのです。ゴール前のタイム表示が3時間28分を示していました。これで3時間半を切れた。とホッとし、いつもグタグタになってゴールをするのですが、両手を上げてゴールをしました。
ほどなく女性がタオルを首に掛けてくれました。汗と一緒に目からも。。。以前にネットタイム(自分がスタート地点を通過してからゴールまで)で3時間半を切った時にも思わず泣けてきましたが、今回もやりきったということ、プラス走ろうかどうかも悩んで走ったレースで満足できるタイムで走れたこと、そして能登の方々の応援に感動したのだと思います。応援も回を重ねるごとに素晴らしい応援を頂くようになりました。応援して頂いた方には手を降ったり声を掛けたりしてきましたが、最後の方は手を振る元気もなくすみません。
本日の新聞に七尾市長のコメントも載ってました。開催するかしないか悩んだけども、能登も被災にあったところだから。ということで開催には相当悩まれたと思います。参加された人もそうだったと思います。私の友人も何人か参加を見送った人がいました。私は参加して良かったと思っています。
総合順位で2432人中185位、40歳代で46位でした。頑張りました。
車を置いてある場所が能登島大橋の直ぐたもとでした。
帰り際に改めて綺麗な海を眺めました。能登島や七尾の内房を1周してきたのですが、まさに「能登はやさしや土までも」その言語通りだったと思います。優しい土を踏みしめてゴールしました。この豊かな自然も恐ろしい地震がくると牙をむくのだなぁと。凪いだ海をみてそう思いました。
改めてまだ、被災されている方々の安全とそして復興を祈念しています。能登からのエールは今は届かないと思いますが、黄色のリボンの輪が早く届くことを祈っております。
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えいしん
3時間半を切りましたね。
がんばりました!!!拍手です。
スプリットタイムも立派です。
今日はまだ脚が痛いだろうと思います。
3時間半を切った完走で、さらに自信をもって挑戦していってください。
おけい
涙が溢れるような記事です。
能登で走ってくれてありがとう!
宮谷さんのエールは、被災者の方々にきっと届いているはず!
本当にお疲れさまでした。
オーダーシャツ屋金港堂
えいしん先生
能登のマラソンは素晴らしい大会でした。今後金沢でマラソンが行われることになると思いますが、見習うことが本当に多いと思います。基本的には地域の方々どれだけレースのことを理解してくれているか。今回3回目というで定着してきたというのは間違いありませんし、復興祈念ということもあったのだと思いますが、能登の皆さんの応援は本当に温かかった。
走った直後は暫く走りたくないと思いましたが、1日経てば次のレースに向けてやるき満々です。フルマラソンを万全の準備をして臨みそして完走する。人生が変わるようにも思います。
これからも頑張っていきます。いつも有難うございます。
オーダーシャツ屋金港堂
おけいさん。
能登は復興していましたし、皆さん元気でした。今回は西田さんにも迷惑をかけて本当に申し訳なかったと思っています。
私は開催されたから走っただけかも。開催されないと思ってましたし、開催されても走るべきかどうかは悩みました。ただ仲間も走りますし、このレースを楽しみにしていました。
多分泣けたのは役目を果たしたという思いだったのかな。。。とも今考えたら思います。
復興祈念、そして皆で練習して臨んだレース。走ったらいいのか、走らない方がいいか分からないで臨んだレース。色んな思いを持って、現在自分が出し得る力を出したということでほっとしたのでしょう。
まだ、不安が続いてますが、本当にこのマラソンを振り返って楽しかったね。と言える日が来ることを祈っています。