引き続き完走記念のセールを行なっています。ようやくご注文への対応が追いつきそうです。1日まで行なっていますので、宜しくお願い致します。
というか私もこの完走記早く終わらせたいです。仕事になりません。。。でもこれからが山場の42キロ。
【能登半島珠洲ウルトラマラソン完走記(その6)】
チームのメンバーがいるエイドから分かれてここからは海岸線をひた走ります。残り42キロと言っても感覚が麻痺していて分かりません。どれだけこの海岸線を走ればいいのか。時々強く風が吹くのか波が岩場に当たり白く砕けて落ちるのをみます。体感的には暑くもなく寒くもなく、風自体も感じてませんでした。
淡々と続く海岸線。60キロを過ぎるとトンネルを通過します。片側をランナーの為に空けてくれています。トンネルの中央に三角コーンを置いて警備員が車の誘導をしてくれています。この辺りになるともう全ての人に感謝です。警備員にも有難うございます。と御礼を言い止まること無く休むこと無く、また歩くこと無く足を進めます。多少のアップダウン。海辺の写真を撮りながら走るランナーもいます。この辺りで足に痛みを感ずるランナーも増えてくるのでしょう。途中で止まってストレッチを繰り返すランナーもいます。大自然の中を贅沢な時間を過ごしている実感で感謝の気持ちでいっぱいになってきます。
左から聞こえる波の音、そして右からタイヤの音くらいしか聞こえません。時々私の横をすり抜けていくランナーもいますが、フルやハーフなどのレースと違い、誰に抜かれようが、また私が抜こうが全く気になりません。この道を走っている私の視界に入るランナー全てが同士のように思えてきます。
自分が走ってて言うのはおかしな話です。ここをこの時間に既に60キロを超えて走っているランナーはて凄いなと、他人事のように関心するようになっています。私の場合は月間走行距離は9月に200キロを超えたもののその7月8月は200キロも達成していません。ただ完走はできませんでしたが60キロ走もこなし、それなりに練習を積んできたという自負もあったからだと思います。
丁度60キロ辺り。トンネルを超えた辺りでNTT西日本北陸走ろう会の方々が応援されてました。私が声をかけたのだと思いますが、知人のランナーもこちらの走ろう会でこのウルトラに出ているのを知っていましたので、立ち止まって話をしました。エールを頂いて、これ食べる?と出されたものがチュッパチャップス。御礼を言ってウエストポーチに入れれば良かったのですが、封を解いて口に入れました。御存知の通り棒が付いております。口から棒を出して走るのですが、このチュッパチャップスなかなか溶けてくれません。かなりの距離口の中で右にいったり、左にいったり、そのうち噛み砕きました。噛み砕いたのはいいけど、残った棒はどうする?捨てるわけにもいかずウエストポーチの中に。塩飴の抜け殻やら棒だとかでウエストポーチの中はグチャグチャ。もう完全なゴミ箱と化しております。
60キロのタイムを見ると6時間29分15秒。まだ11時間を狙えるラップです。ここからどうなるか?
63キロのエイドを過ぎ鞍崎の灯台が先に見えるような65キロ地点。前方に男性が一人立っているというか、待っているというか。近くまで行くと知人のSさん。何だかFBやブログを通じて走っている私を見て応援したくなって来たとか。ありがたい話です。
能登の方なので、だいたいの行程も分かるだろうと思い。ラケット道路ってここからどれくらい?と聞くとまだまだ先とのこと。ラッケット道路は78キロ地点くらい。ここがまだ65キロだからまだまだ先。海辺を走っていると距離感ありません。
差し入れの羊羹を頂き、また元気になって次のエイドに向かいます。本当に有難うございます。
ここで後ろから来たランナーと並走。「どこから来たのですか?」と挨拶を交わすと揖斐町からとのこと。今年本当はウルトラ走って揖斐川マラソンを走る予定だったのですが、うっかり申し込みを忘れ気付いた時には締め切りになってたので、揖斐町と聞くとその話題に。エントリーの裏ワザ?(笑)などを聞いて次のエイドまで一緒に行きます。彼からは帰宅後Facebookの友達申請も頂き、ランナーの仲間が増えました。
67キロのエイドに辿り着きます。坦々と続く海岸線の道を進むと白いテントが見えてくるわけです。まさにオアシス。塩谷村エイドや大谷エイドと進み。塩田の塩で湯がいた小さめのジャガイモが提供されてました。このジャガイモがうまい!塩出切った身体に天然のミネラルを含んだちょっと強めの塩が身体に吸い込まれていきます。小袋に入れられた塩田の塩を2袋頂き先に進みます。
快調に飛ばす揖斐町のランナーの背中はどんどん小さくなっていきました。
今回とにかく73キロ地点の自然保護センターのエイドに辿り着く。それを目標に走ってきました。預けてある荷物を受け取れる。荷物にはもしもの為に少し底の厚めのシューズ。着替えのTシャツ。これはチーム金港堂のTシャツにしゼッケンも既に付けてあります。そして羊羹などの補給食。とにかくここにたどり着けば残り27キロ。27キロもあるわけですが73キロ走ってくれば残り23キロと思えるはず。そしてiPhoneもここに預けていたので、自分自身の情報もアップできる。後6キロ走ればたどり着ける。
もう少しのところで足に違和感を覚えるようになってきました。もう腰から下は痛みが強くてどこが痛いか分からないようになっているのですが、左足首に力が入らない。足の裏に痛みを感じてくる。足を前に出す、左足が地面ととらえる度に痛みが走ります。
ここまで持ったのだからあともう少し。73キロ地点にはマッサージのサービスも受けられるはず。とにかく我慢です。ラップもどんどん遅くなり70キロ地点で7時間42分31秒。11時間を超えるのは当たり前になってきています。12時間以内のゴールを目指しますがなかなかエイドに到達しません。しかも平坦だった海辺の道路にアップダウンまで出てきました。
何とか痛みにこらえながら73キロ地点のエイドらしきものが見えてきました。太鼓の音も聞こえてきます。
20メートル先に人の姿が見えます。星稜大学の学生だと思いますが、拍手して私を迎えてくれます。何とかたどり着いた。131番のゼッケンを先に確認してくれてエイドに入ると同時に私の荷物を渡してくれます。
気温は20度くらいだったと思うので、汗でびっしょりということもなく、海風で汗も乾いていたのでしょう。Tシャツを変えずに先にマッサージ。フットケアをお願いします。うまく椅子が一つ空いていたのでそこに座り症状を伝えます。ふと見ると千枚田の折り返して私よりも3キロほど先に行ってたM君が横に座ってマッサージを受けてます。「何でこんなところに?」聞くとやはり歩きが入ったようです。それは完走じゃないな?歩いたから完歩だなと冗談を交わし、早く終わった彼と別れます。私はとにかくアーチが落ちて痛いので思いっきりマッサージをして上げてほしい。最初にやってくれた学生さんは症状を理解してくれないのか、あまり力が入りません。そこじゃない、もう少し下。などとお願いしていると、隣の学生が変わってくれました。彼のお陰で完走できたと言っても過言じゃないと思います。「私も偏平足なのでよく分かるのです」と言って落ちたアーチの部分を強い力で思いっきり上げてマッサージをしてくれます。「痛い!痛い!痛い!でも止めないで!」苦痛と喜びの混ざった悲鳴を上げながらマッサージを受けます。随分マシになりましたシューズを履いても痛くない。「これで随分上がったので大丈夫だと思いますよ」と言ってくれて御礼を述べて椅子を立ちます。
このエイドでは東京からわざわざボランティアに来てくれてエイドの取りまとめをやってくれている、Oさんと再開。国際ランナーでさくら道(250キロ)も完走されているランナーですが、故障でレースに出れていないようです。是非復活して欲しいランナーです。彼女とのツーショット。
人に会ったり写真を撮られる時は元気そうに見えます。前日彼女から貰ったコーラをこのエイドで受け取ることができました。前日に頂いたので蓋を開けて炭酸を抜いてあります。
それを一気に飲み干し。エイドにあったお味噌汁を一杯頂きました。塩田の塩を使ったおにぎりもありましたがちょっと身体も限界に近くなっていて食べる気がしません。一旦手に取ったものの再度戻させて頂きました。
フットケアも終わり、元気も出てきたのでこのエイドを後にします。子どもたちの応援の太鼓を聞いていざ出発しようとすると子どもたちに呼び止められます。ハイタッチを要求されました。彼ら彼女らとハイタッチをし元気にのこり27キロの旅に再出発です。さてこの後どんなドラマが展開されるでしょうか。
やっとここまで来た(笑)あと2回くらいか???お付き合い頂き本当に有難うございます。
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