神戸マラソン完走記そろそろスタート。
スタート直前。Mちゃんと「じゃあゴールで」と言葉を交わし号砲がなってゆっくりとスタート地点に向けて歩き始めます。
スタートゲートをくぐるまでは何度か動いたり急に立ち止まりしながら徐々にスピードが上がってスタートラインをくぐるとスピードが上がってきます。
スタートゲートには田中希実選手が。「小さっ!」思わず声を。
いつもマラソンの前には5キロ毎の目標タイムを決めて、それをプリントしたものをラミネートして手首に巻いて走るのですが、今年は目標タイムは無し。
基本的には4分40秒~50秒の間くらいで走り、できれば3時間25分以内という目標設定です。いつもだと5キロ毎でラップを確認し、早いとか遅いとかで途中でスピードを上げたりしますが、今回はそのストレスは無し。
号砲がなってスタートラインをまたぐまでの手元の時計で見た差は1分15秒。
さあここから2023年神戸マラソンのスタートです。
昨年は折り返してからかなりの逆風でした。今年は行きは向かい風、帰りは追い風と聞いていましたので、早めに風除けを探さないと。毎回そうなのですがそれが苦手。
最初はナイキのオレンジのランシャツ下がブルーのハーフタイツのランナーを見つけました。かなり頻繁に時計を気にしているので恐らくはイーブンペースを意識しているはず。どこかのタイミングで時計を見ると4分45秒ペース。ぴったりじゃないですか?ずっと彼の腰の辺りを見ながら走ります。私はどうしても上を向いて走る癖があるので、できれば前のランナーの腰辺りを見ながら何も考えずに走りたい。
ただそのランナーも給水のタイミングで私の後ろに行きいつの間にか見えなくなりました。残念。
この後何人か同じペースで走っているようなランナーを見つけてコバンザメ作戦。ただ序盤はペースが安定していないのか?それよりも私のペースよりも速いランナーもいてなかなか良いペーサーが見つからず。
何キロ目だったかに前方にスタートで一緒だったMちゃんを見つけます。スタート直後は私が先行したつもりでいたので、私よりも先だったのだ?と思いましたが、数メートルの距離を縮めます。女性を風よけに使ったらいけないのは分かっていますが、まさにぴったりのペースなんです。
ただ上り坂のタイミングで私の方が先に出てしまいました。「私をペーサーに使わないで」と余計なことを言ってしまったと後悔しているのですが、私の方が先に出たのでそのまま進みます。後ろは見ないのでその後私の後ろについてきたのかは不明。
6までのメモリーですが、1はグロスとネットの差。つまりは号砲がなってからスタート地点をくぐるまで。そこからの1キロ毎のラップ。今回の神戸マラソンでは2キロ目が最速のようでした。ほぼペースは設定通りの4分45秒程度。
さて次のペーサーを探さなくてはいけません。
陸連登録者は身体の前後にゼッケンを付けています。それ以外に名前が書いてあるゼッケンもあります。ウル覚えてですが「ごっちゃん」とか外国人ランナーで「WILL」さんという人もいたように記憶しています。
何キロ目か覚えてませんが、隣まで言ってなんでそんな名前にしたか聞きたかったランナーがいました「島倉千代子」ゼッケンだけなら分かりますが、その方Tシャツにも首の後ろ辺りに丸の中に「島倉千代子」ってプリントされているのです。
「島倉千代子ランニングクラブ」とかあるのでしょうか?聞きたいと思ったのですが、ペースが合わず離脱。
暫く行くと、私が先行したはずのチームメンバーのMちゃんがまた前にいます。どこかでまた抜かれたのでしょう。その後また後ろにつこうとしますが、7~8メートルの距離が縮まらず。しかし背後についてストーカーみたいなのも?と思ったので暫くはそのペースを保ちます。
また暫く行くと抜いたみたい。
若干想定よりも遅い感じがしますが、何とか折り返してハーフ地点まで。
フルマラソン半分を折り返す時にMちゃんが折り返してきて走ってかたB姫を見て「B姫!」と叫んでいるのが聞こえました。私の後ろにいるのだ?と思い。ああB姫はこんなに先を走っているのだと考えながら折り返します。
Mちゃんはどの辺り走っているのだろ?と思い折返しで確認したが見つけられず。後から聞くと私の近くにいたようで見えなかったようです。
折り返してから暫くいくと、最近好調でしかも国際を狙っているK子先生が私の横を通って声をかけてくれました。
「どうですか?」って。
その時点で私の左脚はほぼ感覚がなくなっていました。やはり痛めた膝がいけないのか?ただ膝がいたいわけではなく踏ん張りが効かなくなっているだけ。それを伝えるとす~~と私の前に出て行ってしまいました。
ハーフを過ぎてからきつい。
頭切り替えてとにかく5キロ25キロまでそこから5キロ30キロまで頑張れば残り12キロ。ただ残り12キロと考えるのもつらいので、5キロ5キロ5キロと区切ってとにかくできるだけ落とさずに走るように。
この時思ったのは昨年3時間10分のペースランナーについていった時にエイドで混雑し、立ち止まるようなことがあり、それがストレスとエイドの度にビルドアップになってしまったのが昨年の失敗。この日のエイドは全くストレスなくとれたので、昨年ペースランナーについていかなかったら・・・と後悔していました。
何とか30キロまで。28キロ29キロ地点から行きとは違う海沿いの広い道に進みます。この時点で既につらく5分を超えるラップも出てきています。ジェルはモルテンのジェルを3つ。20キロ辺りでカフェインの錠剤を2つ投入していますが覚醒することも無し。30キロちょっと前に既にジェルは2つ投入し、27キロ辺りで左のふくらはぎが怪しくなってきたので、コムレケア投入。
昨年は全く見た記憶がないノエビアスタジアム神戸が左に見えます。恐らくは30キロを過ぎた辺りだと思うのですが、後ろから大きな足音が近づいてきて、サブ3.5のペーサーとランナーの集団に飲み込まれました。着いていけるようなペースではなく無理しても駄目だと思い。追いかけることもなく飲み込まれた集団から離脱。
マラソンは辛抱していればある時ふっと身体が軽くなると言います。今は我慢の時間。そのうち軽くなるだろうと思って脚を進めます。最後のモルテンカフェイン入を35キロ辺りでとったと思います。
昨年は30キロ過ぎで歩きが入ったと思います。今年は絶対に歩かない。
そう言えば最近GPS時計COROSの心拍数が変。時計の設定は距離とタイムとラップタイム、そして心拍数の表示にしていたのですが、序盤全く息が上がっていないのに190とかを示します。インターバルでもしない限りはそんな心拍数にはならないはず。
ラップもどんどん下がります。
ところが35キロ辺りでゼーハー言い始めた時の心拍数はどんどん下がってきて150台を示すことも。単純にペースが遅くなると心拍数って下がるのでしょうか?
今年の心拍数はこんな山でした。まあもう心拍数を気にしても仕方がない。
ここからは昨年はここを歩いていたな・・・とか思って絶対に歩かないことを自分に誓って走ります。ただ5分を超えるようなラップが出てきた私はどんどんランナーに抜かれていきます。仕方がないことですが、でも私はまだ歩いてはいない。
恐らくはMちゃんは私よりも先に行っているだろうな・・・とかCブロックからスタートしたD教授も設定ペース通りで走れていれば私よりも先に走っているはず。お風呂間に合うかな?とか色々考えながら走ります。
どんどん抜かれますがまだ歩いていません。三ノ宮に近づき高いビルが多くなります。それと同時に声援も大きくそして多くなります。
さて、そろそろあの壁のような坂が見えるはず。確か二回上るはず。絶対に歩かない。
カーブを曲がったところだったと思いますが、まさに壁のような坂が見えます。恐らくは神戸マラソンのボランティアをどう配置するかもしっかりと考えられているのだと思いますが、坂の途中は若い男女の応援が多い。大きな声で声を掛けてくれますが、なかなか応えられないのも事実。
私の前にはお猿さんの着ぐるみを来たランナーが。歩いたり走ったり。走ると私よりも速く歩くと私の後ろにきます。坂になると歩いているランナーも沢山います。
一度ちょっとゆるくなり、もう終わるのか?と思わせておいて、更に上り坂が目の前に現れます。ジェットコースターならばいいコースだとは思うのですが。
上り切ると前に大きな赤い橋が見えるのですが、そこまでも少し上っているような。最後のエイドが左に見えますがそこはスルー。ボランティアの方がもう上り坂は終わりましたよと声を掛けてくれますが、そこからの下り坂もきつい。
もう残り2キロ。確か降りきっても長かったはず。辛いけどゴールを目指しますタイムはもう見てません。早く終わりたい。ラスト1キロで歩いている人もラスト1キロでスパートする人も。
あの角を右に曲がればゴールなはず。あの警察車両がゴールか?いやその先でした。
ようやくゴールしました。正式記録はこの後にただここから更にドラマが。いやドラマという綺麗なものではありません。
一応ゴール後メダルを掛けてもらい。そしてタオルを肩に掛けてもらい。水を貰って一気に飲み干しました。肩のタオルが暖かい。チームメンバーはどうしたんだろ?もう着いているだろな・・・とか考えていましたが、兎に角ハーフ過ぎてから左足の感覚があまりなかったので、左の股関節辺りから痺れが来て歩くのも辛い。ゴールしてから荷物を受け取りに行く道沿いは多くのランナーが座っているのを見て私も座りました。
動かない脚を押さえながら頂いたバナナを食べました。そうするとD教授が現れて、私よりも速いかと思ったら私の1分後くらいにゴールとのこと。今の状況を話すと救護呼んできますと言ってくれて、たまたま私とD教授を挟んだ向かい側に救護の人が。状況を話すと直ぐに車椅子を用意してくれて、乗れますか?と聞かれ何とか脚を上げて車椅子に。
そこからが凄い。インカムで番号か何かを言ったと思ったらそのままランナーの間を突進。ゲートをいくつか開けてそのまま救護へ。
受付があり名前と年齢を伝えると、そこから再度車椅子の乗り換え。「どっちの脚ですか右ですか?左ですか?」と言われ「左が動かないのです。」と言うと「右足で立って下さい」と言われて車椅子に乗り換えそのまま救護の場所へ。
20年近くマラソンやってますが、救護されたのは初めてで、ホールを壁でしきってそこには簡易ベットが多数。まるで戦場のような感じ(実際の戦場は見たことありませんが)そこでドクター登場。
どこが痛い?と聞かれてこっちあっちと伝えますが、痛いところはあちこち回る。最初左脚だと思っていたのが今度は右足が痙攣を初めて、ドクターが右足をそして左は若い女性が。
ドクターからどこが痛む?と言われたので、右の内転筋の辺りを指差すとそこを押された途端に激痛が。「いて~~」と声を上げても押し続けます。「軽く押さえているだけやで?」と言いますがそれでも痛い。その後は左足をさすってくれている女性に講義が始まります。腸脛靭帯が痛い時はここ。どこどこが痛い時はここと。
いやレクチャーここでせんでいいでしょ?早く治してくれ!と言いながらあちこっち押さえてくれるのですが、その後チームメンバーのMちゃんとB姫が見に来てくれました。本来だと入れないみたいですが、ゴールして既にワンピースに着替えているB姫は家族だと思われたらしく通してくれたようです。
唇が紫色になっていると指摘され、先生の触っている手がとても暖かく感じたものですから診断は低体温症。この手が暖かいということは低体温症だな。と言われて水飲めますか?と言われOS1を身体を起こして飲ませてくれました。
救護に連絡をしてくれたD教授も来てくれたのですが、迷惑をかけたと思って先に行ってもらいました。
診断が低体温症だったので、その後銀色のシートを被せてくれてそしてその上に毛布を。
「六甲下ろしは冷たかった 」
カルテのようなものを見て女性のスタッフ?医者?がそろそろ出てもらわないと・・・と言うのですが、出ていけるような状況ではない。次から次人が運ばれてくるので、概ね30分くらいと決められているみたいです。
ただ最初に見てくれたドクターは無理したら駄目。まだ寝てなさい。今帰したら貴方のお母ちゃんに怒られる!と言ってまだ寝かせてくれました。
その後別のスタッフの方が来られて「水飲みました?」と聞かれ「OS1」を一本と言うともう少し飲んだ方がいいですね。ポカリにします?OS1にします?と聞かれてOS1をお願いし、もう一本飲み干しました。
暫く寝ていると隣で「いて~~~」との叫び声が。別のランナーが痙攣していたみたいです。
二本もOS1を飲んだ私次に表れた症状は「トイレ行きたい・・・」まさか車椅子でトイレに運んでもらうわけにはいけないので、スタッフの方にもう大丈夫そうです。と伝えて立ち上がってみます。何とか立ち上がれました。
そうすると一人の男性スタッフが、お守り落ちてますよ。と言って渡してくれました。
写真は自宅で撮ったものです。京都の護王神社と大阪の服部神社のお守り。こうやってパンツの後ろに入れていました。立ち上がった時に後ろから落ちたようです。それでそのスタッフに「お守りの効果無かったですね」というと。「3時間30分で走れたのはお守りのおかげじゃないですか!」と言われて泣きそうになりました。
そこでその場にいたスタッフの方々にお礼を言って救護室を出ます。直ぐにトイレは?と聞くと指で教えてくれました。走ることもできず。しかもシューズは脱いだままで肩から銀のシートをかけてトイレに向かいます。トイレ前にシューズを置いてかけこみ何とか間に合いました。
最後慌てたので面倒見てくれたドクターに挨拶ができなかったのが残念。そう言えば何度も年齢を聞かれました。その度毎に「61歳」「61歳」と答えるのですが、いい年齢してフルマラソンなんてするからだ?と思われているのではないかと。
ただドクターは「61歳?」まだ若い。私は後期高齢者だと慰め?てくれていました。
身体が温まったら普通の人です。兎に角荷物をピックアップしなくてはいけないので、どこをどう通ったか分からない導線を逆方向に歩き何とか荷物をピックアップ。
当然Bブロックの荷物は10個残っていたか残っていなかったか。履いていたアルファフライをしまい。ONのシューズに履き替えますが、普通に動けます。スマホを取り出すと店からLINEが「パソコンが動かないんやけど」
ん~~電話で色々伝えて兎に角作業をしてもらいます。
先にゴールしたメンバーに連絡をし、お風呂は諦めたから直ぐに三ノ宮に行くことを伝えて三ノ宮でMちゃんとB姫と落ち合いました。兎に角早くビールが飲みたい。先程まで低体温症で寝ていたのに。ドクターが聞いたら怒るかも。
三ノ宮の居酒屋を何件か聞いてみたのですが、10人入れる店は無し。交渉しても駄目。兎に角そこにいた3人でお店に入りそれぞれ別々に祝杯をあげようと言うことになりました。ちょっと飲んでから大阪に戻ろう!ということだったになり兎に角乾杯。
そして一人が加わり4人で祝杯?
飲み始めたら止まりませんがな。
昨年神戸マラソンに応援に来てくれた大学時代の後輩も近くで飲んでいたとのことで駆けつけてくれました。
こういうのがとても嬉しい。有難うね。写真見ても先程までくたばってたとは思えないくらい元気。
チームメンバー沢山で行ったのに、全員で帰ってこれなく、また打上げもできなくって申し訳ないです。
帰る直前に昨年神戸の後輩に聞いていたイスズベーカリーのトレロンを購入して4人で帰りました。
来年もまた来たいなあ・・・でもコースはきついしな。それよりも練習です。
明日河北潟一周駅伝、そして元旦継走選手権大会。大阪ハーフマラソン、東京マラソン、ふくい桜マラソン。
ちょっとレース入れすぎた。でも頑張ります。
神戸マラソン2023これにて。
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